今年、1月22日、宮崎県東部沖合いの日向灘を震源地とする地震が九州東岸を襲いました。
1月27日に大分市に入り、翌28日から2月14日まで、被災家屋の損害調査に従事しました。
二日目の1月29日、現場調査中にそれまで十数年愛用してきたデジタルカメラの調子がおかしくなりました。
カメラのモニター画面に映る像の色調がサイケデリックになったり、
横縞模様のノイズが入ったり、異変が生じ、毎日調査に携行するものなので
ちょっとピンチ。
調査から自室に戻り、プリントすると冒頭の画像のように色調がおかしくなります。
ひどいものになるとフラッシュを焚いた画像は「ホワイトアウト」となり画面が真っ白になります。
さらにノイズが入った画像になると被写体が何なのか識別不能となります。
さっそく市内の家電量販店に駆け込み新しいカメラを探しました。
これまで愛用していたカメラと同じメーカーの製品を探しました。
店頭には私が探しているメーカーのカタログが置かれているのですが、
陳列商品にそのメーカー品がありません。
店員さんに在庫はないのか問い合わせましたが入荷時期が見通せない、との返答でした。
ほかのメーカー品も同様で陳列商品しか売るものがないとのこと。
なぜですか?と問い合わせたところ
「どこのメーカーも半導体の調達不能により生産がストップしているため」
との意外な答えが返ってきました。
最近、世界的な半導体調達困難・不足により自動車メーカーの生産に影響が出ているニュースは知っていましたが、 小型デジタルカメラの生産現場でも同様の障害が生じているとは想像もつきませんでした。
災害時にこのような不便が生ずることにデジタル文化への不安がよぎりました。 フィルムカメラに帰ろうかな、とも考えましたが、仕方なく在庫品の一番使いやすそうで安価なカメラを買い求め、 その後は普段どおりに調査に専念することができ無事業務を終え、ホッとして東京に帰ってきました。
東京の自宅に戻り、「私の本棚」を不調のカメラで撮影し、プリントすると冒頭の画像のように色調がおかしくなります。
ひどいものになるとフラッシュを焚いた画像は「ホワイトアウト」となり画面が真っ白になります。
さらにノイズが入った画像になると被写体が何なのか識別不能となります。
SDGsのめざすGoal
のひとつに「つくる責任 つかう責任」があります。
家のなかを見まわすといろいろな「モノ」があふれています。私の家もそう。
家もそうだし、
インテリアに用いられる壁材や家具、調度品、
旅先でみつけた民芸品、
日頃着こなしているファッション、
冷蔵庫の中の野菜や肉・魚、清涼飲料、
キッチンの引き出しにしまってある調味料、
壊れて使い物にならなくなったパソコンやデジカメ・・・
そのほかの、あれやこれや、のかずかず。
それらかずかずの、どれもこれも、みんな「つくる人」がいます。
つくられたものを手にしてつかうとき。
たとえば、カメラを手にして、仕事をするとき。
SDGs がめざすGoalのひとつである「つくる責任 使う責任」とはその程度のものでしょうか。
つくられたものを手にしてつかうとき。
たとえば、道具を手にして、仕事をするとき。
法隆寺の宮大工・棟梁だった故 西岡常一さんが著した本に書かれていたことですが、
山へ木を伐りに行くと、斧を木の根元に打ち込む前に、斧を根元にそっと立てて、
「ここまで立派に育った木を伐らせていただきます。
伐ったあとは、上手に加工して、ここまで育った歳月より長持ちする立派なお堂や塔にして木に宿るいのちを大切に守りつづけてゆきます。
これからこの斧で大切ないのちを一度断ちますが、どうか私に仕事をさせてください」(※注:西岡氏の著書数冊を通読して総合した私の『意訳』です)
と、一心に祈ったそうです。
法隆寺の五重塔は、建立後1300年以上経過していますが、柱に使われているヒノキは今も立派に塔を支えています。
西岡棟梁によれば、「山で千年かけて育った木は、上手に使えばその建物は千年もつ」そうです。
木を育てるのは自然です。もちろん間伐など人の手が加わることがありますが、
太陽や風雪、地面が肥えているか痩せているか、
北向きの山陰で育った木と、南向きの日あたりのいい斜面で育った木のあいだには性格(癖や強さ弱さなど)が異なるともいいます。
木が自然によってつくられたと考えるならば、つくる責任とはものの用に応えられる質を提供することであり、
つかう責任とは、ものの用に応えられる質をもった道具を上手につかい、ものに宿るいのちを再生するほどに、ながもちさせ、大切に使い続けることだ、と私は思います。
そうして、ものに与えられた天命をまっとうする時がきたら、そっともとの自然に還してあげることだと思います。
古くなった家を、そろそろあたらしく建替えようと思う時。
傷んだ柱があったら補強して、より強く
もしも、不幸にも火災や地震で全壊になったら、
火災や台風、洪水、地震などの災害に強い建物をつくろう。
このことは永年愛用してきたカメラにも通ずることです。
私は大分でカメラを買い換えたのではない。
色の具合が悪くても、画面にノイズが入っても、私は捨てない。
半導体の原料はレアメタルだ。地球という大きな窯が何億光年かけて焼成した貴重な資源だ。
作られてから10数年で捨ててどうする?
そんな愚かなことをして、尊い地球の生命が持続的発展が実現すると思うかい?
ところで調子の悪くなったカメラで帰宅早々撮影したのが冒頭の画像ですが、 これは自宅の玄関を上がった廊下脇の壁に立てかけた雨戸の裏面を利用した簡易書籍ディスプレイ棚、わかりやすく言えば本棚です。
私の家は祖父が建築家に設計を依頼して建てられたのですが、新築当時の窓には当然のように雨戸が備わっていました。今から約70年も昔のこと。
以来、一部増改築したものの、自宅はほとんど手を加えることなく現在に至ります。
新築時に備わっていた雨戸は、一部増築により不要となりましたが永年戸袋に格納されたまま残りました。 残された雨戸は私が大事に保存して、時には製図台として使っていましたが、 家中にあまりある古書の収蔵場所がなかったため、 急場しのぎの「本棚」として戸裏の縦横桟木を仕切りとして活用したものです。
また、私は今まで本棚を買ったことがありません。
仕事部屋にあふれる図面やカタログ類は、もらい物の桐たんすや、間口半間の物入れ収納に可動棚板を渡しただけのシンプルな書面・書類倉庫としています。
本棚は、私がまだ小学生の頃に両親が勉強机と共にそろえたものが今も残されており、
これは小屋裏部屋に通ずる階段脇の小屋裏収納内の『整理棚』(書籍のディスプレイ棚)として活用しています。
古くなって不要となり処分しても構わないものでも、使えるものはとことん使い切る、というのが私の『SDGs』取り組みのささやかな流儀です。
ところで古くなったカメラを修理の窓口に持参しても、たいていの場合 「製造後10年経過すると部品の保管期限超過となり修理不能」 という答えが返ってくることがあります。 テレビやパソコン、携帯電話・スマホなど電化製品にこうした傾向がみられます。どの製品にもささやかながら半導体が使用されています。
「つくる責任」についてもっと真剣に考えてほしいと思うのはこんな時です。
このページに掲載した画像は、すべて永年愛用した「不調のデジカメ」で撮影したもの。
同じアングルで数回ショットし、サイケな色調・横縞ノイズ・ストロボ撮影によるホワイトアウト画像など、
鑑賞に堪えないものは除き、色調が悪いながらも Better Best と思うものを並べました。
案外ノスタルジーを感じる出来栄えで、かえって満足しています。
一応修理に出してみますが元通りに直らなくても、調査記録目的外用としてこれからもずっと愛用するつもりです。
2022年 2月